「ニゲテキタ?」
おいらはおかみさんの言った意味が分からなくて、首を傾げながら口の中で
モゴモゴと復誦した。
逃げなければならない状況って何なんだ?何から逃げるのだろう?
どうして逃げるのだろう?って即座に思った。
日本の中で凶悪犯罪や詐欺まがいの事件や借金による自己破産が増えている
からといって、生活していた場を捨てて島に逃げるなんてよっぽどのことだろう。
そんな話は聞いたことがない。
いったいAYAの身に何があったんだろうか?
続きを早く知りたくて、全身耳のように神経を張り巡せる。
しかし、次のおかみさんの台詞を聞いたとたん、目の前が真っ白になるほどの衝撃を受けた。
おかみさんは低い声で続ける。AYAは目線を落として身を硬くしている。
「AYAちゃんはね、悪い人に騙されてフィリピンから日本に連れてこられたの。
彼女が16歳ぐらいの頃ね。案の定、暴力団に売られちゃってね。東京の繁華街で嫌々
身体を売らされていたらしいの。ほとんど監禁状態みたいなかたちでね。
でもそこでの生活があまりに過酷で、辛くて辛くてしょうがなかったから、
ある日とうとうそこから逃げ出したらしいの。人間らしい生活をしたくてね。
でも暴力団にAYAちゃんのパスポートも取り上げられていたから、自分の国に
帰ることもできなかったのね。
所持金もほとんど持っていなかったから、着の身着のまま逃げつつ辿り着いたのが
この三宅島だったっていうことなの・・・。」
自分の頭を殴られたような衝撃だった。何も言葉がでなかった。何も考えることが
できなかった。自分の目が大きく見開いているのが自分自身でもわかった。
目の回りの血管がジンジンと痛み出す。
AYAは伏目がちに床を見ている。
おかみさんの言葉を聞き終わり、AYAの落ち込んだ姿を見ておいらに訪れた感情は、
他でもない「怒り」だった。それは並大抵の「怒り」の感情ではなかった。
とにかく怒っていた。何に対して?分からない。おいらの頭の中で、冷静に分析
できるほどの力が割り当てられていない。体中が熱くなる。
彼女の過酷な運命に怒っていた。自分の無知に対しても怒っていた。
彼女を騙した奴にも怒っていた。彼女を悲惨な生活に貶めた奴にも怒っていた。
彼女の「身体」を買った奴にも怒っていた。不躾な質問をした自分にも怒っていた。
噴火を続ける三宅島の雄山にも怒っていた。
怒りのパワーが沸々とおいらの心の中で煮えたぎっていた。
AYAはずっと暗い顔をしている。彼女の瞳は何を映し出しているのだろう?
十年前のことを思い出しているのだろうか?
だが、おいらは今しがた理解できた。現在のAYAの置かれている立場は、
十年前に三宅島に逃げてきたという過去形なのではない。
今も逃げ続けている現在進行形なのだ。