「+Diary:s」 blog no.10 - hiro onodera
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「2005年02月」のアーカイブ
2005.02.27 | Posted by

この宿泊したアカコッコ荘のおかみさんが、夜遅く災害ボランティアの
人たちの為の食事を作っていた。学校の調理室にあるようなバカでかい鍋でカレーを
ぐつぐつと煮込んでいた。
島が噴火している状況のもと、自分たちの生活のことを考えるのに精一杯な
はずの状況なのに、ボランティアの方の食事にまで気を配るのは大変なことだなと
実感する。

よくよくおかみさんに聞いてみると、島の旅館・民宿のおかみさん方が有志となって
200人近いボランティアの人たちの食事を分担で作っているのである。
それも体感地震が、一時間に何回も続く中で。

三宅島に来て初めて知ったのは、災害地などでボランティアを受け入れる方も
一生懸命ということである。島の復興に向けて、自分たちが何ができるのかを
考え続けて復興活動をされている。これまで様々な地震・津波・災害に被災した
出来事は、テレビの映像の中でしか見たことはなかったが、復興というものは
一朝一夕でできるようなものでもなく、現地ではそれこそ身も焦がれるような思いで
平穏な日常生活を再び営むことを渇望しているのである。
しかも、この三宅島は一応「東京都」なのである。自分の住んでいる、
または仕事を営む県下で起きている災害という観点からは、現地に来るまで
実感はあまりなかった気がする。

そしてこのような被災地域の中で、20人近くの現地の有志の方々を取りまとめて
いたのが、我らが泊まっていたアカコッコ荘のおかみさんであったのだ。
なかなかキップのいいおかみさんのこと、やっぱり島の観光組合のなかでも
頼りにされているんだろうなと感じた。

ここの宿のおかみさんが本当にいい人だった。俺たち二人が宿に着いた直後から、
「な〜んにもしてあげられないけど、泊まっていって。お代はいらないわ。」
と、言われていた。
勿論オノデラとチカラは即座に
「それは申し訳ないですよ。何か俺たちにも手伝わせてください!」
と、言い続けてきた。
ボランティアをしに来たにも関わらず非生産的な瞑想(若しくは妄想)しか
していない俺たちは必死になっておかみさんのやさしさに対して報いようと思った。
兎に角、おかみさんや地元の方々、ボランティアをしている方々など、復興に向けて
戦っている方々に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
何かをしなければ男ではないと思った。


現在はもう孫もいておばあちゃんであるというおかみさんはうれしそうに
「じゃあ、明日カレーの運搬を手伝ってね。丁度男手が欲しかったのよ。」
と、昔は相当の美人であったことを伺える満面の笑顔で答えてくれた。
その笑顔で、瞑想しかしてない正義の味方も救われた気がする。

ちなみに火山灰を取り除く作業をしてもらうボランティアの人たちの為に、
感謝の気持ちがいっぱい詰まったカレーを一番最初に食べたのは我ら二人である。
いやぁ〜うまかったことうまかったこと。
何も生産的活動をしていないのに、お代わりまでしてしまった。
正義の味方にはカレーが良く似合う。気分はやっぱり黄レンジャーかな。

2005.02.25 | Posted by

まあ、混沌とする災害地でアホ面引き連れて歩き回るわけにも行かず、
兎も角チカラが以前滞在した民宿「アカコッコ荘」に赴いた。
東海汽船が発着する錆ヶ浜港から火山灰にまみれた車で走ること15分、
チカラお薦めの民宿に着いた.

おいらは本当にこれまで様々な土地を旅して、数限りないホテル民宿に滞在してきたが、
このアカコッコ荘ほど「完璧」な宿に出会ったことはなかった。

一見して、普通の民宿。でもビックリしたのがおいらたちの他にも宿泊客がいたっていうこと。
なんて奇天烈な・・・。自分たちのことを省みずに、世の中には災害中にやってくる非常識な
人間もいるもんだと妙に納得。
で、その宿なんだけど、何の変哲もない作り。海水浴と海釣り客しか客は来ないような
雰囲気だった。
しかし、宿の裏はアカコッコ館という三宅島に生息する野鳥や自然をそのまま集めた
パビリオンとなっており、延長線上で宿の庭には有り余る自然があった。
別名「鳥の島」と呼ばれるくらい豊富な種類の鳥に目を奪われながら、
周りの木々のせせらぎを感じて、自分の五感の中で消化する。
そんな中、宿の庭先に遊びに来るアカコッコの歌声に耳を傾けつつ、
ひたすらボーとする。
今自分が災害地にいるとは到底思えないほど、落ち着いた時間を過ごしてしまう。
時たま体感震度を感じる地震があるが、それを除けば完全に
リゾート気分である。仕方なくヴァカンス続行である。
*オノデラ said
「いいね、ここ」
チカラ said
「ああ、そうだな」
*リピート5回

住民及びボランティアの方々が火山灰と戦う北岸の
神着、伊豆、伊ヶ谷地区とは雲泥の差であり、メディアで流されていた
映像はこの三宅島の北の地区ばかりなのである。
真南に位置する坪田地区では「災害中」であることすら感じられない。
何もかも忘れて、大変有意義な時間を過ごさせてもらった。
感謝感謝。
正義の味方のヴァカンスはまだまだ続くのである。

2005.02.24 | Posted by

そんなこんなで、結局チカラとオノデラ二人が次の日に「災害が起こっている」
三宅島に向かうことになった。
目指せ!正義の味方。

ここでヴァカンスは一旦終了、パーティーは解散。
チカラの彼女ユリチンは仕事の為、飛行機でそのまま帰京。石田は仕事がある為に
三宅島には寄らずに、次の日の船便で東京に帰るとのこと。結構、おいらの友達は
自己主張が強く、かつおいらたちも自分は自分、友達は友達ということで割り切って、
何となく別行動をとることが多い。みんな我儘なのかもね。おいらを含めて。

でもサヨナラの儀式もやっぱり俺たちらしいやり方だった。
やっぱり船でサヨナラをする場合には紙テープは必須だよね。
海を汚しながらも紙は自然に戻るんだという理屈で、八丈島を後にする。
石田と八丈島で知り合った女の子二人がいつまでも船上のおいらたち二人に向かって
手を振り続けてくれたっけ。

八丈島と三宅島はやたらと近い。船の中でも正義パワーで興奮しっぱなし(不謹慎)
おいらたち二人は意気揚揚と三宅島の土を踏みしめたのである。

が、フタを開けてみたら結局災害ボランティアをすることはできなかった。
何故かと言うと災害ボランティアに参加するには保険に加入しなければ
ならないだの、ボランティア参加登録しなければならないだの
事前にしてこなければならない事務処理が山ほどあったのである。
これには面食らった。

しかも、港にいた島の人に対して自分たちがボランティアをしにきた
正義の味方だと言っても、いまいち反応が悪い。
不思議に思って色々と聞いてみると、何と撤去作業が心優しいボランティア
集団によりほぼ終了していたのである。
撤去作業のピークは2,3日前で、道路上の石の撤去、屋根に降り積もった小石、
掃除が必要な老人のお家もあらかた片付いてしまったようなのである。

振り上げた拳を何処に振り下ろせばいいのかわからなくなったまま
チカラと俺はボーゼンとしてしまった。完全に肩透かしである。
ピンチだ!正義の味方。

2005.02.23 | Posted by

2000年夏真っ盛りの中、一人の女性との出会いが今でも忘れられない。
写真を撮ることができなかったが、控えめな笑顔とともに
彼女の小柄な姿をはっきりと思い出すことができる。
その女性の名はAYAというどこにもありふれた名前だ。
彼女とは随分と奇妙な出会いを遂げた。なぜなら、
今現在では上陸すらすることができない、依然として噴煙を撒き散らす
人の存在しない島「三宅島」で彼女と出会ったのだから。

ことの発端は八丈島でのヴァカンスである。八丈島は「一応」東京都であり
竹芝桟橋から船で7時間余りで着く場所に位置する。
7時間といっても、夜の10:30に出航し朝方の6時前後には
着いてしまうものだから、船に乗って寝て起きたら大自然溢れる八丈島に到着してしまう。
たかが数時間を船で過ごすだけで、降り注ぐ南国特有のサンシャインを全身に
浴びることができるのである。
だが、島で走る車のナンバーは全て「品川」となっており
南国特有のやしの木に囲まれた景色、抜けるように青い空、
人情味あふれる島人たちに触れてしまうと、今いる場所が東京都で
あるというのが不思議に思えてくる。
そんな都会から身近な場所で俺たちは島特有ののんびりとした雰囲気と
黒潮で遥か彼方から運ばれてきた心地よい風を全身で感じていた。
我々4人のパーティーは相変わらずの島でのバカ騒ぎを連日連夜続けていた。
それは毎日毎日道端に圧倒的に咲きまくるハイビスカスに負けるとも劣らないような
パワーで遊び続けていた。

旅メンバーはいつものとおり、バカ一代男「悪友チカラ」と
その彼女であり超ベッピンさんである「ユリチン」、それに
我が華麗なるバカ同期「石田」、それに通称「繊細だけど
デリカシーがない男」オノデラの4人組だ。
今思い起こせば毎日毎日よくあれだけ遊んだものである。
東京での生活と違い、島で過ごす時間がゆったりと流れるのに
身を任せながらも、シュノーケリングにダイビング、陶芸に
ホタル観賞、夜光虫観賞、クサヤ一気食い競走、
漁船による暴風雨クルージング、テントによるアウトドア生活、
八丈富士登山、etc・・・
まあ、今思い出して八丈島でよくそれだけ遊べたと思っているが、
丁度その頃にとなりの三宅島の噴火に伴う土石流や火山灰降灰が
社会問題となっていた。灰が降り積もることでの道路の使用不可、土石流によるライフラインの断絶、灰塵による呼吸困難。特にお年寄りの方の日常生活に大打撃を加えていた。そして何より、肉体労働に耐えうる若い労働力の欠如が著しかった。

そんな折、先発隊として一度三宅島、御蔵島に上陸を
果たしているチカラが思いもかけない話しを持ってきた。
「三宅島で火山灰撤去のボランティアをしないか?
現地で困っている人が大勢いるらしい。」
というものであった。
実はこのヴァカンスに来る半月ほど前に三宅島が噴火し、
余震が続くとなりの八丈島に行くべきかメンバーで審議をしたほどである。
それくらい、毎日ブラウン管から流れ出す三宅島噴火の映像は
すさまじいものであり、その災害に巻き込まれた人々は火山灰の
被害に声を落とすばかりであった。
あまりにも遊びすぎてしまい、なんだか働いている人に申し訳ない
気持ちになりつつあるところにこのチカラの台詞。
しかもボランティアをする人たちとの連絡先もわかるという。
男気心がフツフツと心の中で煮えたぎってきたのである。
正義のヒーローなのである。弱い人を助け、日常生活の支障となる
憎っくき敵「火山灰」に立ち向かうのである。
かっこいいではないか?ヒロクンよ。
勿論、このような考えが自分の中で去来したことは否定しない。
だが、所詮テレビのニュースで放映されていた「遠くのフィクション」に
感じられた映像よりも「困っているお年よりの人たちがいる。
手伝ってくれないだろうか?」というまた聞きのセリフを隣の島で聞いた方が
より鮮明なリアリズムを自分に与えたのもまた事実である。
世の中で起きている数多ある災害の中のひとつという認識から
親しい人間の口から「助け」を語られたことにより、テレビの
ニュース以上に身近な出来事として捉えるようになったのである。

2008年07月02日
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