「+Diary:s」 blog no.10 - hiro onodera
Contents
RSS(XML)
「2006年11月」のアーカイブ
2006.11.22 | Posted by

これら一連の文章は、すべてこの筆者の溶けた脳みそが勝手に夢想したフィクションである。
AYAなる女性は三宅島には存在しない。
もしかしたら、祖国で幸せな生活を送るAYAなる女性は実在するかもしれないが、
それは筆者が切望するノンフィクションでもある。

家で三宅島を思い出しながら            オノデラ ヒロユキ

2006.11.21 | Posted by

その後の三宅島について少し書き述べたい。
2000年6月からはじまった三宅島雄山噴火により、同年9月に全島避難命令が出て、
全島民が島外へと避難した。そして、2005年2月1日に避難指示は解除され、
4年半にも及んだ避難生活も一応の終止符を打った。
4月には三宅島小中学校も開校したが、依然として島の人々は火山性ガスを防止する為の
マスクを手放して生活を送ることはできない。
その当時、おいらは食い入るようにテレビのニュースにかじり付いて、避難民の方々を見ていた。
おかみさんやAYAはいったいどうなったのだろうか?と。

ある日の通勤途中、駅の改札近くで三宅島の人々を支援するための共同募金を募っていた。
おいらは正義の味方だから、財布に入っていた小銭全部を寄付した。
寄付しかできない正義の味方も考えものだなって思いながら。

避難勧告が解除された2005年の2月、おいらはフィリピンのマニラ国際空港に一人降り立った。
事の発端はやっぱりヴァカンスである。
友達のT氏からボラカイ島にダイビングしに行かないかと誘われたのだ。
その誘いを受けた時、二つ返事で了承した。
勿論、ダイビング自体にも魅力を感じたのだが、やはり一度どうしてもフィリピンに
行ってみたかったのだ。
AYAの故郷に。

日本航空のジャンボジェット機に乗って、成田からマニラまで約5時間。
普通の観光客であるおいらは、簡単にフィリピンへと入国することができた。
それはAYAが10年間帰国を待ち焦がれている心境からすると、あっけないほど
何も事件は起きなかった。

三宅島に限らず、この東京近辺の島々には同じような境遇の女性が数多くいるという。
同じようにパスポートを取り上げられ、どこにも行き場がない異国の女性が格安で
簡単に逃げられる場所が伊豆七島なのである。
たった数時間で彼女達の過ごしてきた南国の環境にそっくりな島々が。


安住できない彼女たち【島女】に安らかなる夜を。

2006.11.21 | Posted by

なぜおいらはAYAにこれだけの感情を移入してしまったのだろうか?
彼女と会っていたのはほんの数時間。話をしたのも合計数十分に過ぎないであろう。
可愛いい女性とお話ができてうれしいという男性として単純な感情以外はあまり
持ち合わせてはいなかった。
少し考えてみる。
すぐに思いついた。

全ては彼女の瞳だ。
普段の日常生活を送る上で、あれほど瞳に力がある人は見たことがなかった。
それは警戒心と野性味を兼ね備えた瞳だった。
あのような目を持つ人は、日常生活を営む中では出会えない。
それが原因かもしれない。
彼女は明らかに明確な目的をもって、精一杯毎日を生活していた。
いつか必ず故郷に帰るのだと。
それがAYAの瞳に現れていたのだと思う。

車が港に着いた。
結構ギリギリで、とっくに船は接岸していた。正規ボランティアの方達は一足先に船に乗り込んでおり、おいらたちは急いで船に乗り込んだ。
一番最後の乗客としてタラップを駆け足で登り上がる。
出発の合図の汽笛が湾に鳴り響く。
おかみさんとAYAが手を振って見送ってくれる。思わず涙ぐんでしまった。
AYAは笑顔だった。
船上の甲板で雄山からの噴煙を見上げる。

来る時とは違い、ほろ苦い気持ちで東海汽船の甲板にでて潮風を感じる。
昨日三宅島に来たばかりなのに、様々なことが頭の中に去来し、
少しだけ仕方なく大人になった気分だ。
正義の味方も形無しだ。
AYAという流れついた一人の異邦人の彼女を助けてくれた正義の味方は
三宅島の人々だったのだ。

船は真夏の日差しの下、粛々と東京への航路を進んでいく。

2006.11.17 | Posted by

外では蝉が狂ったように鳴き続けている。おいらの耳の中で木霊木魂する。
AYAは悲しい目をしながらも少し微笑んだ。

「さあ、お二人さん。そろそろ船が港に着く頃だよ。明日から会社なんでしょ?」
静寂を破るおかみさんの声で、ふと現実に戻された。
時刻はもう14時半。東海汽船の船が出港するまでもう少しだ。
今まで話をしていた公民館の踊り場を後にし、チカラとおいらは帰り支度をし始めた。

おかみさんが車で港まで送っていってくれるという。
またAYAが助手席に乗り込んだ。彼女の後姿を眺めながら、おいらの頭の中は
チベットの曼荼羅のように延々とこれまで歩んできた彼女の人生について考えてしまう。
おいらの人生はこれまで幸せそのものである。
自信を持って言えるだろう。
時には挫折や悲しみをその時々で感じて生きてはきたのであろうが、自分の人生を
振り返ってみて辛かったことを思い出すことはすぐにはできない。
強いて挙げるなら、女の子に振られたくらいなことか。
でもAYAはそんなものとは次元の違う何百倍、何千倍もの苦労と絶望を
味わってきたことであろう。

正義の味方は想像してしまう。
10年前、AYAはどんな気持ちで東海汽船に乗り、どんな不安を抱えながら
三宅島に一人たどり着いたのであろう?誰も自分のことを知る人のいない島で。
怯えながら5000円札を握り締めて切符を購入し、着の身着のまま船に乗り込む
彼女の気持ちはどんなものであったのだろう?
未知の島へ着くまでに、何を考えたのだろう?
夜中の22:30に出航する東海汽船で何を考えていたのだろう?
上陸した時には燦然と輝く朝日はでていたのだろうか?
この島に落ち着くまでにどんな辛い目にあったのだろう?
10年前の彼女を想像してみたとき、自分の10年前にそれほどの覚悟を
持ったことがあるのだろうか?
人生を悔やんだことがあるのだろうか?
追っ手を気にしながら生活することはどんな感じなんだろうか?
本国に強制送還してもらうことも考えたのだろうか?
正義の味方は肩を落として考える。

2008年07月02日
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
Monthly Archives
Category Archives