[cast] 神保 哲生, 宮台 真司
[guest] 東 浩紀
今回のマル激はとてもむずかしかった・・・。
どのような物事を語るときにも自分の立ち位置はどこなのだってことが大事なんだってことを何だかあらためてすごく感じた。理論理屈の先には必ず価値判断が立ちはだかっている。自分で物事を理解するっているのはつまりたぶんそういうことなんだなあと。
監視社会、個人的感情としてはすごく嫌。だけど現実的にはもはや後戻りできないところまできてるんだろうなということがわかった。東氏いわく「Amazonの『おすすめ商品』は監視そのもの」って全くその通り。地域的・商店街的コミュニティの崩壊が背景にあるっていう宮台氏のかねてからの言説も全くその通り。だけど自分はやっぱりジャスコやセブンイレブンで買い物してるし、アマゾンの『おすすめ商品』メールにはとりあえず目を通す→クリッククリック・・・。感情的には嫌だなんてイノセントなことはいっていられない(はぁー・・・)。
社会のアーキテクチュアが「監視ですー」となった場合に個人が抗うことはすごく難しい。人々の不安をあおったり、あるいは利便性の実現という形で現れたりするから、「自分が監視されている」っていう風に感じない場合も多いし(「悪い人は監視しといて」的能天気)。本編中の指摘の通り、監視化は本当に「世の中がよくなる」という目的のために進行してるんだろうか、誰かが得をするためだったりしないんだろうか、って疑う必要確かにあるんだろう。冷静になろう・・・。
「監視すること」は古代から社会のアーキテクチュアのひとつなんじゃないかな。
うろ覚えだけど、古代ローマの監察官(ケンソル=censor・・・英語のcensorの語源ね。)は習俗監視も行っていたよね。
共同体はそもそもそこに監視機能を含むものなんじゃないかと思う。視点を変えると監視機能を持たない共同体は存在しないんじゃないかと。。。
自分はね、「監視」は仕方ないと思うよ。交通監視システムとか不快ではあるけど。
> 共同体はそもそもそこに監視機能を含むものなんじゃないかと思う。
> 視点を変えると監視機能を持たない共同体は存在しないんじゃないかと。。。
存在論的にはそうだと思うよ。権力による共同体監視の「正当な」意義は何か?っていうと、たとえば共同体の秩序・安全を守ること、だったり。そういう文脈ではわかるし必要だと思う。でも逆に、仮にも民主主義社会というのであれば、「権力(の濫用)の監視」も必要だーね(本来メディアが権力に対する「ウォッチドッグ」として機能なければならないはずなのだけれど・・・)。
自分がブログに書いた内容ではちっとも説明になってなかったけれど、今回のマル激のトピックだった「監視社会化」って、かなり現代的な問題提起。奈良の女児殺害事件とかあって、世論的にも監視化容認の方向にぐーっと行っているでしょう。その意味するところとか。興味深い話だったので、きちんと整理してブログに「追記」しようと思ってます。
>「権力(の濫用)の監視」も必要だーね(本来メディアが権力に対する
>「ウォッチドッグ」として機能しなければならないはずなのだけれど・・・)。
真偽の程は定かではないけれどNHKの番組改変問題とかはマスコミと権力の距離感を表出する契機になったと思う。NHKだろうが他局だろうが多かれ少なかれ傾向としてはありえるのだろうね。
「権力(の濫用)の監視」という点で考えると、4月から施行される「個人情報保護法」には違和感がある。法律ってのはできるだけ拡大解釈が不可能なように作られなきゃいけないのに、「個人情報保護法」は拡大解釈が可能で、大きくとらえると国家による検閲まで可能になってしまうような気がする。
結局のところ個人レベルでの自覚が必要なのだろうけど・・・
いまの日本ってさ、自分も含め個人レベルでの自覚ってわりとないよね。