陸路でイラン−パキスタン国境を越え、パキスタン側の国境の町タフタンよりバスにゆられること18時間、バローチスタン州の州都クエッタにやってきました。
バローチスタン州はパキスタン西部に位置し、面積にして国土の3分の1ほどはあろうかという大きな州なのですが、その大半はイラン高原の荒涼とした砂漠地帯(さらさらな砂の砂漠ではなく、乾いた砂利や岩石が延々続く殺風景な大地)。タフタンからクエッタまでのあいだ町らしい町はなく、ときどき、チャイと簡単な食事を振る舞う休憩所のようなところがあるだけです。われわれの行く一本道と平行して列車の線路も東西に走っているのですが、肝心の列車は月に2本(!)とのこと。そのため人々はみなバスで行き来をする事になるのですが、ご想像の通り、その道程はお世辞にも快適とはいえません。しかし、休憩所に立ち寄って殺伐とした風景の中チャイなど飲んでいると、ああ自分はいま旅をしているなあ、なんて実感することが出来たりします。砂漠に沈む夕日は、空が砂埃で煙っているためでしょうか、周囲を茜色に染める事はなく、まるで満月のようにいつまでも白く光っていました。
そんなこんなで、一晩バスに揺られ翌朝クエッタに到着。バスの屋根に括り付けられていたバックパックもどうやら無事でひと安心(パキスタンでは大きな荷物はみなバスの天井に括り付けるのです)。バスターミナルからスズキ(軽トラックを改造した乗合タクシー)に乗り込んで市街へ。
さて、市街に出て・・・。ぼくは心底、衝撃を受けました。
この驚きを言葉で説明するのは、ぼくの国語力ではとても難しいのですが、端的にいってトルコともイランとも町の雰囲気が全く違いました。トルコもイランも、人の温かさやバザールの活気など、間違いなく「アジア」ではあったのですが、どこか近代的というか西洋的というか(誤解を恐れずにいえば)整然とした「清潔」な部分があったように思います。しかしここでは、これまでヨーロッパからトルコ・イランまで一貫してあったその「清潔」さのようなものが、ついに姿を消したように感じました。そして、この地の根底に流れている精神は、きっとこのままインドや東南アジアの国々へとつながっているのだろうな、と漠然と感じました。
感じたイメージを先にいうと上記のようになるのですが、具体的に町の様子としては、まずゴミがすごーく目に付きます。われわれの感覚からすると単純に汚い。食べ物の屋台などは、その日に出た生ゴミをそのまま路上に捨てていってしまうみたいだし、バザールを歩いているとぺしゃんこに干乾びたニワトリの死骸があるし(何日放置されているのだ?)、下水事情がよくないようで路肩のドブ(流れてないで溜まっている)はかなりの悪臭。その悪臭放つドブの真横で食堂が営業していたり。
道路は、これまたごちゃごちゃしていて、パキスタン名物のギンギラトラックやらギンギラバスやら、これまたギンギラなオートリキシャやら、スズキやら、チャリンコやら、ロバ(ついに登場)やら、果物の屋台やら、実にさまざまな乗り物が、さまざまな音を立て、さまざまなスピードで(ロバで軽く渋滞する)、たいていは人や荷物を満載にして、めいめい縦横無尽に行くわけです。この混乱ぶり・ミクスチャーぶりをみていると、なにやらこちらまで興奮して血のたぎってくる思いさえします。
この「何でもあり」感は、人々の様子についても同様です。バザールのヤミ両替屋の胡散臭さとか、むき出しの生肉が軒先にぶら下がるバザールとか、暴走するロバ(あれで走ると結構速いのです)にしがみついて向こうに消え去った少年とか、四つんばいで歩く片足の不自由なおじいさんとか。いろんな人がいる。たくましくいる。
ぼくは旅を通じて、漠然とひとつ結論じみたものとして「いろいろなところにいろいろな人が生きている」ということを感じていました。いままで行ったことのなかった土地にも確かにいろんな生活があった。
そして今回さらに、この地で感じたのは「もしこれがぼくの世界だとしたら、ぼくは何をして生きているだろうか」ということでした。ぼくはこの世界で、はたしてたくましく生きていくことができるだろうか。