パキスタン北部地域について、以下ガイドブックの記述をそのまま転載します。
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パキスタン北部はインド、中国、アフガニスタンに囲まれ、東はヒマラヤ山脈、西はヒンズークシの山々、北はパミール高原が広がる世界有数の山岳地帯である。インダス川の水はここから流れ落ちている。この地域は他の4つの州と異なり、中央政府の直轄化にある。1947年の印パ分離独立に伴い、この地域を含むカシミールの帰属が問題となり、第一次印=パ戦争に至る。事実上の支配地域は、第二次印=パ戦争でほぼ固まっているが、現在も互いに領有権を主張している。
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・・・と、政治的には現在も微妙な地域ではあるのですが、6000・7000メートル級の美しくも険しい山々と、それらに囲まれるようにして人々がひっそりと暮らす村々は、多くの登山家や旅行者・バックパッカーにとっての憧れの地のひとつとなっています。
パキスタン北部地域で最大の町ギルギットへは、ラワールピンディーよりカラコルム・ハイウェイの山道をバスで行くこと16時間。カラコルム・ハイウェイとは、北部の山々の間を縫うようにしてパキスタンと中国とを結ぶ幹線道路で、20年ほどの歳月と1000名弱の犠牲者を経て1978年に開通しました。この道路のおかげで一介の旅行者でも北部地域を気軽に訪れることが出来るようになったわけですが、いかんせん道路状態は悪く、ところどころに小さな土砂崩れがあって(崖を切り崩して道路にしているのだから仕方がない)、しかしバスはその上を猛スピードで突っ走っていくものだから、実際にはかなりハードな道程です。控えめにいって、とっっっても揺れます。「がたごと」ではなく「ガシャンガシャン」金属的な音がします。朝、ギルギットに到着した時には、側頭部には複数のたんこぶができ(寝てる間に窓の手すりにぶつけたらしい)、床に脱いでおいた靴は運転席近くまで転がっていました。やれやれ。
ぐるり360度を茶色い岩肌の山々に囲まれたギルギットの町は、想像していたよりも大きな町でした。ここは中国との交易の拠点でもあって、町の西の外れには中国からの物産(毛布や食器など)を売っている地区もあります。しかしともあれ、「下界」の喧騒とはうってかわって、静かで涼しくて過ごしやすい町です。
ギルギットには有名な日本人宿があって、今回はそこに宿泊しました。日本人宿とは、日本人旅行者が多く宿泊する宿のことで、たいていは日本語の本があり、日本語で書かれた情報ノートがあり、場所によっては日本食が食べられたりします。なにより、日本人旅行者が多くいるので、日本語で話が出来るわけです。日本人宿は世界の各地にあるらしいのですが、ぼくはこれまで、1度しかその手の宿に泊まった事はありませんでした(トルコで利用した、そして両腕をこっぴどくダニに食われた)。とくに積極的に避けていたわけではないのですが、とくに積極的に利用しようという理由もなくて(日本語の本は魅力的だけれど、気の合わない人とべたべたと時間を過ごさなきゃいけない事になったらいやだな、と思って。だから、どちらかといえば避けていたかもしれない)。
ともあれ、今回はその日本人宿を利用しました。
宿に到着すると、受付前の小さなロビーにはパンケーキのようなものを食べている若い女性。日当たりの良い庭でベンチでひなたぼっこしながら本を読んでいる若い男性。どちらも洋服ではなくて、パキスタン人と同じ白いシャルワーズ姿。
廊下の本棚には、古い「地球の歩き方」(インド編が多かった。インドからパキスタンにぬけたパッカーがここにおいていくのでしょう)、「バカボンド」「サバイバル」「寄生獣」などのマンガ、日に焼けた雑誌、小説、聖書にコーラン。
僕の部屋は、ロビー横のシングルルーム・トイレシャワー付き(ただし水シャワー)。1泊150ルピー(約300円)。不潔ではないけれど、かといってきれいでもない、典型的な安宿。ロビーから古い昔の日本のフォークソングのカセットテープが流れてきて(壁が薄くて音が丸聞こえなのです)、女性が「これはなつかしいなー」なんて言っています。
とにかく、時間の流れがここだけ違うのじゃないかという気がしました。そして、この時間の流れが居心地よくなったら、沈没なのでしょう。しかし僕は幸か不幸か、目的地とタイムリミットのある旅をしているので、何としても沈没するわけにはいかないのです(半分は冗談ですけれど)。
昼間は町を歩き、夜になってから帰宿。ロビーでは、若い男女が向かい合わせに座って、なにやら話をしていました。ぼくは軽く挨拶をして、自分の部屋へ入りました。
ところが、ぼくの部屋からは、ロビーの男女の会話が筒抜け状態。なんとなくこちらの方が気まずい気がして、ロビーに出て会話に加わろうかとも思ったのですが、男性の方が自分の旅行自慢らしき事を話していたので(ケニアでどうした、エジプトがどうだ、のような)、ちょっとうんざりして、そのまま部屋で黙っていました。
2人の会話は、時間とともにだんだんお互いの緊張を解いていき、より率直な、等身大の内容に変わっていきました。ぼくは、いよいよ盗み聞きをしているような格好になってしまったのですが、そのときには正直なところ、もうその会話から耳をそむけることができなくなってしまっていました。
男性、もうすぐ30歳。私立高校の教師。6年前に長い旅行(たぶん世界一周)を経験。その際に立ち寄り沈没したこの地に久しぶりに帰ってきた。今回は1ヶ月半滞在。明日、日本への帰国の途に。女性、28歳。小児科医。世界一周旅行中。中国、ネパール、インドを経て、現在パキスタン。旅行3ヶ月目。現在、この地から動けない模様。
まず、彼らが同年代だという事に、ぼくははげしく動揺しました。それから、彼らのキャリアというか、生き様というか、人生のスタイルに、嫉妬のようなものを感じました。
もちろん、それぞれのひとにはそれぞれの人生のスタイルがあって、それに自信をもっているならば、他の人の人生のスタイルに嫉妬する必然性など、全くないのです。全く。そのことに気がついて、さらにぼくはひどく落ち込みました。
こうした類のもやもやは、たぶん自分の中には、今回の旅行の前から潜在的にあったのですね。動機の一つとして。今いる場所から一度飛び出してみれば、何かが変わるかもしれない。なにかわかるかもしれない。結果として、変わったこともわかったことも、たぶんたくさんあるけれど、しかし一番肝心な部分については「わからないということがわかった」というような、まったく頼りなく歯がゆい状態なのだ、ということを強烈に突きつけられたような気がしました。
あれれ、日本人宿の話なのか、悩み告白コーナーなのか??
善く生きるとはどういうことか?
このところ考えることが多いよ。
というのも漠然と、「たぶん自分はあと3年の内に結婚したり、子供ができたりするだろう。」となんとなく思うからだ。
周りを見ているとなんとなくそれを実感する。(今の仕事、今の会社はあまりにも日本の会社員向けだからなあ・・・)
ということはこの2年くらいが、純粋な意味で自分のためだけに使える当面最後の時間だろうと思うんだよね。
仮に2年間と仮定して、ではこの2年間をどのように使うか。
2年間のスケジュールを立てる前に自分は当面の目標が欲しいと思う。目標があればその達成のために必要なファクターを割り出して一つひとつクリアしていけばいいでしょ。
目標は何? そう考えたときに漠然と思ったのは「善く生きること。」(いきなりあまりにも漠然としているけど。)
今から30年過ぎた後にそれまでの人生を振り返り、なんとなく満足できるようでありたい。社会的な成功ではなく、自己満足の成功が欲しい。それが自分にとっての「善く生きること。」かな。
では自分は何に「満足」するか? それがわからない。
社会的な成功? 出世? 悪くないけどねえ。終身雇用が事実上なくなった今の日本では惹かれないなあ。
自分の子供が健やかに育つこと? これは自分にとって大切。まだ想像力の及ばないエリアだけどそうであって欲しいと思うし、そのための努力はしたい。 ・・・でも正直なところ今は(29歳で独身で日本国籍を持つ今は)それ以上のものが欲しいんだよなあ。
それ以上に自分が「満足」できるもの。何だろう。
たかのは、とても現実的だよな(もちろんよい意味で)。自分なんて「具体的にあと何年でどうする」的なことをぜんぜんプランニングできないもの。
「自己満足の成功」ってこと、自分も考える。エピキュリアン的な人生、とか。多分自分もそういうのに憧れがある。だけど、そういうのって「できる」ひとと「できない」ひとがいるんじゃないかな、という風に漠然と感じている。そんで、自分はできないほうの人じゃないかな、って。
まるでロバがシャム猫に恋するみたいに。
あれ?
ロバがシャム猫に?
ロバってタカノのメタファーじゃん。
猫ってあゆさのメタファーじゃん。
どーゆーこと? 深いねぇ・・・
あっ、浅いか・・・
なんか、若いころのことをいろいろ思い出して。
しかし、ロバはべつにたかのなわけじゃないよ。自分を含め、もっと一般的な意味でさ。