「+Diary:s」 blog no.9 - by okumiya.
Contents
RSS(XML)
「2006年06月」のアーカイブ
2006.06.30 | Posted by | 2006年 南米

2006年6月30日正午、ブエノス・アイレスの国内線のターミナル「ホルヘー・ニューベリー空港」は、ぱたりとその機能を停止した。

いったい何が起こったのか? ――― そう、サッカーである。

この日にワールドカップ準々決勝の大一番「アルゼンチン対ドイツ」戦が行われることは、もちろん事前に知っていた。アルゼンチンの試合、見たいなあ、と思っていた。しかし、アルゼンチン航空のメンドーサ行きの出発時刻は12時45分。これを逃すと夕方まで便はないそうである。仕方ない。僕はサッカーをあきらめメンドーサ行きを選んだ。

当日。早めに空港入りしチェックインを済ませ、搭乗ロビー内のテレビモニターの前に陣取る(せめてちょっとくらい試合を見たいじゃないですか)。試合開始のだいぶ前にも関わらず、数カ所あるテレビモニターの前には早くも人だかり。向こうのレストランでは、テレビを中心に扇型に椅子が並べられている。みんな、心なしか浮き足立っている。

アルゼンチン・ドイツ両国代表がピッチに姿を現す。空港内に拍手と歓声と響き渡る。12時00分、キックオフ。攻撃陣にタレントをそろえ、これまで見事に勝ち上がってきたアルゼンチン。この試合も序盤から優勢にゲームを進める。中盤でのすばやいパスまわし。実に美しく、見ていて楽しいサッカーである。「ヴァモ!」「ムイビエン!」といった歓声があがる。唐突に客の一人がテレビモニターに近づく。そしてテレビの音量を上げる(搭乗ロビー内のテレビはみな音声をミュートされていたのである)。その勇気ある行動に対し、また拍手が沸き起こる。

ふと、僕は先ほどのレストランの方に目をやる。そして自分の目を疑う。白いコック服の男たちが10名ほど、テレビ前の人だかりの最前列で腕組みをしながら試合観戦をしている。明らかにレストランの厨房の男たちである。明らかに、自信を持っての職場放棄である。気になってあたりを見回してみる。すると、あちこちで同様の職場放棄が起こっている。カフェのウェイトレスも、警備員も、航空会社の職員も。まあ客の大半がサッカーに釘付けだから、働いていようがいまいが大差ないんだろうし、そりゃ仕事なんかより母国の大事な一戦を見たいだろうと思う(僕だって同じ立場だったらサッカー見たい)。でも、日本人の倫理観からすると、あまりにもあっけらかんとした職場放棄である。

ところで、僕は12時45分発の飛行機に乗らなくてはならない。サッカー見てて飛行機を乗り過ごしたんではいささか情けない話である。12時15分、指定された搭乗ゲート「12b」のほうをちらりと見やる。まだ動きはない。12時20分。動きなし。12時25分。ちょっと心配になって「12b」まで行き、カウンターのお姉さんに訊ねる。「メンドーサ行きは?」「遅れています(delayed)。10分くらいの遅れだと思います」。発着リストに「delayed」の表示はなかったが、どうやら飛行機が遅れているようである。ラッキー、と内心ほほえみながら、サッカー観戦に戻る。

アルゼンチン優勢のまま前半終了。皆にこやかである。あちこちで談笑がもれる。トイレ休憩に行くものもいる。一方、僕の飛行機は一向に飛ぶ気配がない。発着リストにも「delayed」の文字が灯る。「···まさか、パイロットがサッカー見てる、なんてことはないよな(笑)···」。。。

後半開始。早々、セットプレーからディフェンダーのアジャラが見事なヘディングゴール!! アルゼンチン先制。空港内は大歓声。手にしたシャツを振り回すものまでいる。僕も思わずガッツポーズ。「12b」のお姉さんもほかの空港職員と喜びを分かち合う(「12b」嬢も後半より観戦。そう、職場放棄である)。その後、ドイツの反撃。審判のホームびいきの笛が目につく。防戦一方となるアルゼンチン。逃げ切れるかと思われた後半残り10分ほど、ドイツ・クローゼのヘディングゴール。ついに同点に追いつかれる。空港内、言葉なし。試合はそのまま延長戦に突入する。

僕、ここで一応発着リストと「12b」カウンターを確認。案の定「delayed」のまま。よし。試合終了まで飛行機は飛ばないだろうと確信する。

リケルメもメッシもピッチ上にいないアルゼンチン。テベスが奮闘するものの結局120分で決着つかず。14時41分、PK戦の末、美しきアルゼンチン、退屈なドイツに敗れる。深いため息。。。そして、ホルヘー・ニューベリー空港はその機能を回復する。アルゼンチン航空AR1416メンドーサ行きは、定刻より約2時間30分遅れの15時10分、ブエノス・アイレスをあとにしたのだった。

* * * * *

そんなわけで、予定より大幅に遅れて夕方5時過ぎにメンドーサに到着しました。

メンドーサは、ワインの産地として有名な土地だそうです(アルゼンチン産ワインの実に70%がメンドーサ産)。上空から見ると、周囲は赤茶けた大地と刈り取られたあとのブドウ畑ばかり。そして西側には、雪をいただいたアンデス山脈がそびえています。

空港からタクシーで10分ほどで、メンドーサの中心街に出ます。さほど大きな街ではありませんが、さびれているという印象はありません。こぎれいで、感じのいい街並みです。

街の中央には200メートル四方ほどの大きさの公園(独立広場)があって、噴水のまわりのベンチで抱き合うカップルや、ブランコに乗る幼ない息子をケータイで写真に撮るお父さんがいたりします。実に平和を絵に描いたような光景です。

特産のワインをぜひ飲もうと宿近くのレストランへ。ビールはともかくワインのことはよくわからないので、店の人に適当に幾つか選んでもらい、その中から2番目に高い赤ワインをチョイス。それでもミニボトルで10ペソ(約400円)。安いですよねー。ブドウの香りがとても心地よくて、渋みの少ないすっきりとしたワインでした。サラミや生ハムをつまみに、おいしくいただきました。

メンドーサ。とくに見どころがあるわけじゃありませんが、一度訪れたら誰もが好きになってしまうような、心安らぐ街でした。

2006.06.29 | Posted by | 2006年 南米

アルゼンチンの首都ブエノス・アイレスは、とても美しい街です。個人的な印象としては、感動的にビューティフルな街です!

南米諸国はそもそも、16世紀以降ヨーロッパ移民たちが切り開き(先住民インディヘナにとっては「侵略」に他ならない訳ですが)、19世紀初頭、南米生まれのスペイン人「クリオージョ」たちが母国ヨーロッパの植民地支配に抵抗、独立を勝ち取り建国された国々がほとんど。その中でもアルゼンチンは、人口の97%がスペイン系・イタリア系の白人が占めるという、とても白人率の高い国です。そういった国状を反映してか、ブエノス・アイレスは実にヨーロッパ的な街並みを有しています。「南米のパリ」といわれるのも納得。


ブエノス・アイレスは広く、地区ごとに違った顔を持っています。僕が泊まったのはモンセラート地区。5月広場からまっすぐ西にのびる5月大通り沿いにあるレトロなホテルに宿泊しました。「5月」の名はアルゼンチン独立革命「5月革命」にちなんだもので、5月広場は1810年5月25日市民たちが集い独立の喜びに浸ったといわれる場所。いわば街の歴史的・政治的シンボルのようなところです。周りには大統領府や大聖堂が建ち並び、また5月広場の反対、5月大通りの西の端には国会議事堂があります。


このモンセラート地区を拠点に歩き回ったせいかもしれませんが、ブエノス・アイレスの持つ大人びた雰囲気、100年前のヨーロッパはさもありなんというようなシックでレトロな香りに、僕はすっかりやられてしまいました。例えば地下鉄。5月大通りの下を走るA線の車両。たぶん開通当時(1913年)からの車両が現役で動いてるんじゃないでしょうか。裸電球。木製ベンチ。扉は閉まるときフスマみたいに「ピシャ」って音がします。例えばエレベータ。僕の宿のエレベータは扉がジャバラです。ジャバラ扉を手で閉めて階のボタンを押すと、押した瞬間にガコンという振動ともに箱が動きだし、目的階でまたガコンという揺れとともに停止します。はっきりいって、日本で話題の某社のエレベータなんて目じゃないです。例えばタクシー。プジョー504ですよ!(505と似たような面構えでした、朝倉さん)。こんなふうに、街の各所にレトロなものが現在活用形で残っていて、それがまた実に自然でたまらなく魅力的なのです。


それから、なんといってもタンゴ! カフェでタンゴ・ショーを見たのですが、音楽にもその土地で聴かなきゃわからないものってあるんだなあとこの時ほど強く感じたことはありませんでした。タンゴって(といってもピアソラくらいしかまともに聴いたことないけど)、カッコいいけれどなんとなく小難しいじゃないですか。僕は正直ちょっと敬遠気味でした。だけど、そのタンゴ・ショーは、本当に楽しかった! 心からタンゴを堪能した気がします。演奏が抜群にうまいわけじゃないし(ピアノの調律はくるってたし、バイオリンのピッチも怪しい)、タンゴダンサーのステップが驚くほど巧みだったわけでもありません。だけど、あの雰囲気(、、、としか表現できないんですが)、実にブエノス・アイレスの生活に合っているというか、彼らの生活から生まれた音楽なんだなあというのが感じられました。ヨーロッパに憧れ、ヨーロッパ風の街並を作り上げた人々が、ちょっとお洒落してワイングラスを傾けながらリラックスして聴く感じ。リオ・イパネマ海岸には文句なくボサノバだし(白い砂浜、午後の日差し、気怠さにも似たこの贅沢なひととき・・・)、ブエノス・アイレスにはやっぱり、タンゴなんですね。そういうことがすごく腑に落ちた感じでした。楽しかった。


ほかにも、歩行者天国になってる賑やかな繁華街あり(フロリダ通りという。ひどいネーミングだよね)、港町ボカ地区あり(タンゴ発祥地だが、いまは完璧に観光地化されている。ちょっとがっかりした)、いろいろな顔を持つブエノス・アイレスではありますが、僕にとっては、レトロでシックで大人な街、そしてやっぱりタンゴの似合う街。それがブエノス・アイレスでした。

2006.06.26 | Posted by | 2006年 南米

ブラジルーアルゼンチンの国境を流れるイグアス川がぐにゃりとヘアピンのように蛇行するあたりに、世界最大級の滝イグアスがあります。

ブラジル側(川の北側)の拠点となる町がフォス・ド・イグアス。サンパウロからバスで16時間の距離にあります。朝、フォスでバスを降りるとめちゃ寒い! リオ、サンパウロとTシャツ1枚で過ごしてましたが、あわててカバンからセーターを引っ張りだしました。

お目当てのイグアスの滝は、フォスの町からさらにバスで30分ほどの国立公園内にあります。滝の少し手前から川沿いに遊歩道があり、ここを歩いてビューポイントまで行くことが出来ます。遠くに「ゴーー」と滝壺がうなる音が聞こえ期待が高まります。前日雨だったせいか、途中樹木の枝が歩道を完全に遮っていたりしますが、そんなのをガシガシ踏み越えてビューポイントに到着。

大小300もの滝が流れ落ちるというイグアス。中でも最大の滝は「悪魔ののどぶえ」と呼ばれ、流れ落ちる水しぶきであたりが白くけむってしまうぐらいものすごい水量です。とにかくでかい。爆流、轟音、ダイナミック!! 日本でイメージする滝とはスケールが違います(茨城?の袋田の滝を見たときもずいぶん立派で感動したけれど)。南米大陸のでかさを痛感しました。ただ、あいにくの空模様で、すっきり青空に白い水しぶきという光景は見ることが出来ず。晴れていれば、さらに滝壺に虹がかかり自然のおりなす色彩のシンフォニーも楽しむことができるそうです。残念。

滝を堪能した後、アルゼンチン側(川の南側)の町プエルト・イグアスへ。フォスとプエルトの間は普通に乗り合いバスが走っています。川を渡ってアルゼンチン側国境にて入国審査。審査官の横のテレビはつけっぱなし(サッカー見ながら仕事してる)。いかにものんびりした雰囲気です。

プエルト・イグアスは、全体的に茶色っぽく落ち着いた感じの街です。レンガ造りの建物や塀が多く、アスファルトも土ぼこりのせいか何となく茶色。ブラジルでは白い壁の建物が多かったので、それだけで街全体の印象がすごく違います。バスでほんの20分くらいの距離なのにこんなに変わるんだなあと思いました(国境ってそういう意味ではすごく面白い)。ほんとはここからアルゼンチン側のイグアスの滝を見に行くつもりだったのですが、すっかり街を気に入ってしまって、ぶらぶらと散歩して過ごしました。土産物屋をのぞいたり、英会話塾の老教師と子供たちを眺めたり。

念願のアルゼンチン・ステーキにもトライ。アルゼンチンは牧畜が盛んで、肉屋ではキロ単位でしか肉を売ってくれないというくらいに肉食な国だそうなんで、旅行前からどんなものかと楽しみにしてました。「アルゼンチンの伝統的なビーフステーキ」というのを頼んだら、出てきたのは10種類くらいの調味料のボトルとレンガみたいな赤身肉のかたまり!一瞬ひるんだけど、食ってみるとやっぱり旨〜い。じっくり30分くらいかけてなんとか完食。

2006.06.25 | Posted by | 2006年 南米

魅惑のリオから、南米最大の都市サンパウロにバスで向かいました。

バスの車窓から眺めるブラジルの風景は、実にさまざま。リオ郊外の古びたスラム街(だと思う。崖沿いにへばりつくように建っている崩れかけの家々)を抜けると、30分ほどですぐに緑の山岳地帯に入ります。ブラジル国旗に象徴される亜熱帯の濃〜い緑。時折ぽつぽつと民家らしき建物や足の短い農耕馬の姿を見かけるのですが、本当にこんな山深いところに誰か生活しているの?という感じです。さらにしばらくいくと唐突に小川が現れ、しばらくバスはその小川と平行して走ります。その後あたりは台地というか平地となり、小規模な集落が点在するようになります。白い壁に赤茶けた瓦屋根の家々が乾いた日差しにさらされ、中南米メキシコあたりの枯れた街といった風情。酒場で「テキーラ!」って叫びたくなるような。しかし、そこは大国ブラジル、さらにいくと外資系大企業(GMとかジョンソン&ジョンソンとか富士フィルムとか)の広大な工場がババーンと現れたりします。そして、おそらくそうした工場に従事する人々が暮らすのでしょう、それら工場群の近くには高層ビルのそびえるかなり大きな都市があったりもします。そんな光景を繰り返すうち、バスはサンパウロに到着しました。6時間ほどの道のり。

さて、サンパウロの雰囲気ですが、リオとはやっぱり明らかに違います。サンパウロでは黄色いサッカーのユニフォームを着てる人をほとんど見かけないし(カリオカはなぜかこぞって黄色を着ている)、また、ブラジルの人口の10分の1が集中するという大都市ゆえなのか、リオよりも貧富の「貧」の部分がどことなく目につきます。たとえば、地下鉄に乗ってたら乗客に何かを配って歩く妊婦がいました。見ると小さなビニール袋に飴が数個と小さな紙が入ってて、紙には「...(ポルトガル語)... 1R$」と書かれてます。どうやら、この飴を1リアルで買ってください、みたいな内容なようです。しばらくするとおなじ妊婦が回収にやってくるのですが、みんな無表情で飴の袋を返してました。物乞いじゃないのよ、というプライドのようなものをその妊婦から感じたけれど、いずれにせよちょっと胸の痛くなるような光景でした。

リオでのんびりしすぎたため、サンパウロに滞在する時間は1泊しかなかったのですが、どうしてもサンパウロの東洋人街「リベルダージ」は見てみたい!というわけで、さっそく地下鉄「リベルダージ」駅で降りると、、、そこには実に変てこな空間が広がってました。駅の階段に座りこんでしゃべりこんでる東洋系の女の子にまず驚いたのですが(池袋か!)、駅前の広場には普通に浅草寺の横で焼きそばとか売ってそうな日本でよく見かけるタイプの露店が、お祭りのようにぐじゃぐじゃっと立ち並んでます。通りに出ると漢字で書かれた看板が軒を連ねてて、日本や中国の食材やら日用品やらCD(氷川きよし)やら日本刀やらゴルククラブやら盆栽やら、いろ〜んなものを売ってます。横浜の中華街にも似た雰囲気ですが、日本とか中国とか台湾とかごっちゃになった「東洋」っぽさが、日本人の僕にはなんともうさんくさくて、ここはどこ??って感じのわくわく感がありました。客層はというと、東洋人よりは圧倒的にパウリスタ(サンパウロ人)が多いのにも驚きました。おそらく、ほかの地域に比べて物価が安いんだろうなと思います。炊飯ジャーをかっていく子連れのお母さんとかいましたから。そんなわけで、通りは買い出しの車(?)の路上駐車でいっぱい。

そんな東洋人街ですが、そもそも日本人のブラジル移民は、第1号の笠戸丸から数えて今年で98周年にあたるそうです。笠戸丸移民は現在でもただ1人ご存命(99歳)だと地元の日系紙(ニッケイ新聞)に書かれていました。また、もうすぐ移民100周年ということで、記念事業の進捗についてもやや在日協会批判的な記事が出ていました。巨額の費用(予算78億円)をかけて大規模なハコものを作るより、記念誌の作成など地道な活動にもっと力を注ぐべきではないか、巨艦大和の悲劇を教訓とすべき、云々。日系ブラジル移民は戦後移民が多いそうで、やはり今でも1世の心には戦争の記憶が色濃く残っているのだろうなあと感じました。ふるさとの記憶はある意味そこで止まっているんだなあと。母国の戦後の復興や近年の右往左往ぶりを、移民の人々はどんな思いで眺めているんだろう。

2006.06.24 | Posted by | 2006年 南米

ブラジル、リオデジャネイロに到着しました。
成田からアメリカ・ヒューストンでトランジットして、
なんだかんだで30時間近くかかりました。
(いやー、遠い)


南半球ゆえ今は時期的には冬なはずのリオですが、
陽気は日本の初夏って感じで、毎日すかっと気持ちよく晴れ渡っています。

リオの観光名所、白い巨大なキリスト像で有名なコルコバードの丘から
リオ市街をぐるっと一望することが出来ます。
複雑な海岸線、そそり立つ岩山、湾状の美しい砂浜、内陸には湖もあり、
そして、そういったダイナミックな自然の造形の間を埋めるかのように
旧市街のビル街や浜辺のホテル群がにょきにょきとそびえるリオの全景。
神の祝福を受けた土地とそこに生きる人々の活力とが見事に融合されていて、
その見事さに、うわー、これはずるいなー、と思わずにはおれません。




うわーずるいなー、の究極は、やっぱりリオの美しい砂浜。
有名なコパカバーナ、イパネマ、といったビーチでは、
カリオカからツーリストまで、多種多様な人々が太陽を求めて集い、
思い思いに日光浴にふけっています。
せっかくリオに来たんだから、わたくしもごたぶんにもれず、
白い砂浜を存分に堪能してきました。
あまり強烈でない、ほどよい日差しを浴びながら、
乾いた風に吹かれ、ザッブーンていう波の音をききながら、
ヒモみないな水着の娘さんたちの褐色の肌を横目に、
キンキンに冷えたビール(約150円)を片手に、
2日間も、ぼーっと何もせずに過ごしてしまいました。。。





砂浜の開放的でリゾートな雰囲気と対照的に、
旧市街の人々の活気はすごく刺激的で、街歩きも充分楽しめました。
(路地に入ると雑然としててちょっとアジアンな雰囲気)
人はみな陽気で親切だし、気のきいた音楽はすぐ近くにあるし、
ほんとリオ、言うことないっ!! ずるい!!



、、、ちなみに、サッカーのブラジルvs日本、
宿の近くのバーでブラジル人に混じって見てきました。
そんなに熱狂的な感じじゃなかったので身の危険は感じなかったけど、
とりあえずロナウドの同点ゴールのときは、ビールを頭からかけられました。
無事?ブラジル大勝で、試合後はみんなかなりフレンドリーでした。



2006.06.20 | Posted by | 2006年 南米

前回の旅から、2年が経ちました。

村上春樹は「遠い太鼓」の前書きで、自身が40歳を迎えるということについて、その心境を次のように書いています。『歳を取ることは僕の責任ではない。誰だって歳は取る。それは仕方のないことだ。僕が怖かったのは、あるひとつの時期に達成されるべき何かが達成されないままに終わってしまうことだった。それは仕方のないことではない』。

2年前の僕は、30歳を迎えるにあたり、多かれ少なかれ同様の焦燥感を感じていました。このまま、何もしないまま30になっていいんだろうか...?

万人が旅をする時代、世界一周をする猛者がごろごろしている現代、たった3ヵ月のひとり旅なんて「何事かなし得た」というほど大層なことではないでしょう。でも、少なくとも僕にとっては、日常に忙殺され心がざらざらしていくのを自覚していたあのころの自分にとっては、いろんなことを全部日本に置いていって刺激的な場所で自分と向かい合う時間を持つということは、すごく必要なことだったように思います。帰国後は、成田から港区の会社に直行して、そのまま日常にスルリと復帰してしまったのですが、3ヵ月の経験、「いろんな場所にいろんな人が生きている」という感覚は確かに僕の中に残っていて、その後の僕を少しタフにしてくれました。

いま、また旅に出たいなと感じたのは、2年前の焦燥感とは違った種類の好奇心がベースになっています。仕事も充実しているし、プライベートでも大きなイベントを仲間と成し遂げたし、友人の結婚を祝福することもできた。このタイミングでぜひ、また新しい刺激を海外で得てきたいな。そんなふうに思っています。

今回は1ヶ月、南米を回る予定です。ブラジル〜アルゼンチン〜チリ〜ペルー。南米大陸はとても大きくて、限られた時間でどれだけ各所を回れるかわかりませんが、、、、行ってきまーす!

おく@成田

2018年02月09日
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28      
Monthly Archives
Category Archives